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物語を読みながら「地政学」を楽しく学べる書籍「13歳からの地政学」の著者、田中孝幸さん。世界の政治や経済の仕組み、国際ニュースの裏側をわかりやすく教えてくれる本書は、2022年2月の発売以来、13万部超の大ヒットを記録しています(2022年9月現在)。国際情勢の不安定さから「地政学」に注目が集まる中、国際政治記者である田中さんが物語の執筆を決心された経緯、著作を通して伝えたかった想いについてお話を伺いました。
自分の五感がキャッチした「リアルな情報」が真っすぐ立つ力になる
―記者として活躍される前の大学時代、ボスニア内戦を現地で研究されたと伺いました。現地に赴かれた理由について教えていただけますか?
現地での研究を決めたきっかけは、「今まで共存してきた隣人同士が争うことになったのはなぜだ」と素朴な疑問が湧いたからです。ユーゴスラヴィア内戦の過程で起きたボスニア内戦は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国の独立を巡って、国内のセルビア人・クロアチア人・ムスリム人3民族が対立したことで勃発しました。「民族浄化」と称して隣り合う他民族の排除が横行し、犠牲者が増えていきました。数年前には、同じ場所でサラエボ五輪を開催できた人々が、なぜ殺し合わなければならなかったのか。日本に届くニュースを見てもさっぱりわからなかったのです。
―実際に、現地に行かれていかがでしたか?
現地で暮らす人たちと接することで、初めて気付かされることばかりでした。各民族の指導者が権力欲にのまれた場合、自らの立場を盤石にしようと他民族への憎しみを煽ります。トップだけが良い思いをする中、一般市民は命の危険にさらされ、国が分裂することで貧しく苦しい生活を余儀なくされていることを肌で感じました。この経験から、自分の五感をフルに使って得た情報をもとに、状況判断することの大切さを学んだ気がします。
―田中さんのように現場に赴くことは難しくても、日々ネット上の情報に触れながら生活するわたしたちにとって、自分なりの判断軸を持つことは大切ですね。
そうですね。ネットに氾濫する情報は玉石混交で、自分で情報の信頼性を判断するのはとても難しい。そんなとき、少しでも自分に経験値があれば、明らかなフェイクニュースや陰謀論、ヘイトスピーチに惑わされることはなくなるはずです。
国と国の「基本原理」を学べば、世界の人々と尊重し合って交流できる
―続いて、「13歳からの地政学」執筆のきっかけを教えていただけますか?
息子から国際情勢について質問を受けたことを機に、彼のようにグローバル社会を生きる若い世代に「難解な国際情勢を理解する一歩」となる入門書を届けたいと思ったのがきっかけです。国際情勢は、世界の政治や経済を動かす「基本原理」を知っておくと読み解きやすくなります。基本原理のひとつが、著作タイトルにもなっている「地政学」です。息子の問いに、地政学の話を交えながら答えるのですが、質問のレベルが上がるにつれ、説明に苦労するようになりました。
そこで、専門用語を知らなくても、世界の政治や経済の仕組みの大枠がつかめる本を書こうと思ったんです。現地の人々との交流や取材経験を活かし、物語を読み進めていくうちに世界の仕組みが見えてくるような本にしたいと決意しました。
―「地政学」の基礎を知っていると、どんな良いことがあるでしょうか。
各国の地理的条件の違いが、国の方針や人々の価値観に及ぼす影響を知ると、世界の人々の立場を想像した上でコミュニケーションができるようになります。自分との違いを楽しみ、相手を尊重できる素養は、グローバル社会を生きていく上で重要です。
日本は、かなり特殊な地理的環境に置かれた国で、国土が海に囲まれています。「弘安の役で神風が吹き、元軍を退けた」という史実は、元軍は海を渡る必要があり、戦場が台風の通り道だったという地理的条件がなければありえません。御家人も懸命に戦ったのでしょうが、海が重要なファクターでした。
そう思うと、ロシアや中国のように陸上国境が長く、常に異民族の侵入と戦ってきた国と日本とでは、平和観がどうしても違ってきます。ロシアのウクライナへの侵攻は決して容認できませんが、「ロシアが自国周辺を親露国で固めようとする理由」には、地理的要因が影響していると知ることは必要だと思います。
100%正しい人も、正しい意見もない。みんなで話し合えば学びは深まる
―ロシアとウクライナの戦争は、現在(2022年9月)も続いています。田中さんが社会科の先生だと仮定したとき、現在進行形の戦争についてどのように触れられますか?
歴史的評価がなされていない戦争について語るのは、非常に難しいですね。これまで申し上げたとおり、同じ戦争に関わったとしても、国ごとに、そして生きる人ごとに立場があり、センシティブな話題です。
しかし、触れる方法をひとつ選ぶとしたら、著作で登場人物の「カイゾクさん」が話したように「100%正しい人も、正しい意見もない」と生徒にも伝え、教室でフラットに議論をすると思います。先生や大人が、100%正しいことを言わなければと気負う必要はない。子どもたちと一緒になって考える機会をつくると有意義なのではないでしょうか。
議論の場に、テーマとの関わりが深い人が一人でもいると、参加者みんなが自分ごととして考えてくれるようになります。もし、身近に難民として日本にいらっしゃった方などがいれば、ディスカッションへの参加を打診しても良いと思います。
―フラットな議論が、世界に関心を持ち、学びを深めるきっかけになりそうですね。
多様な意見が出るだけで、子どもたちはもっと調べてみたくなったり、知りたくなったりするはずです。疑問を持つと、人は自然と探究を始めますよね。暮らしの中にも、学ぶきっかけはあちこちに見つかると思います。K-POPのアイドルが日本語バージョンの楽曲を出すのはなぜだろう。なぜ、このTシャツはこんなに安いんだろう。カカオの生産地なのに、なぜアフリカ製のチョコレートは見かけないんだろう。そんな小さな疑問を紐解く機会を大人が提供することが、子どもたちと世界を近づけていくのだと思います。
世界中の「自分との違い」を楽しめば、思いやりを持って協力しあえる
―「13歳からの地政学」に、地球儀をキーアイテムとして登場させた意図についてお聞かせいただけますか?
地球儀は、地図と違ってゆがみも基点もありません。自分が視線を注いだ先が世界の中心になります。フラットな目線で世界を見られる地球儀をキーアイテムとすることで「相手の立場に立つと、世界は違って見えるよ」と伝えたかったのです。
人間はどこかで認知のゆがみを起こしていて、自分の立場から見えるものだけを見て生きています。隣の人も同様に、自分の立場から物事を見て生きているのですが、それに気付かないと、自分と違う相手を「異質」とだけ感じ、互いを尊重できないんですよね。でも、相手の立場から物事を見られたら、相手に対する心持ちは変わり、思いやりが生まれるはずです。
―本当にそうですね。田中さんご自身も、40カ国を超える国での取材を通して心持ちは変わりましたか?
大きく変わりましたね。一例ですが、人種差別はあってはならないと頭では理解していても、「姿形が違っても、人間はみんな同じ生き物だ」と心の底から納得できたのは、各国の地政学的な背景を知り、世界中にできた友人と語り合うようになってからです。互いの立場に立てば、白黒はっきりつけられる物事など、ほとんど存在しないことを肌で感じます。著作にも「差別の反対は交流」という一節を記したところ、多くの読者の方々から共感いただきうれしかったですね。ぜひ、海外にじっくり話ができる友達をつくってほしいです。
そして、最近は国家間の分断だけでなく、世代間の分断も気になっています。世代を超えて互いを知り合い、思いやりを育みながら協力し合えたら……きっと新しい価値が生み出せ、面白い日本になっていくと思います。
PROFILE |たなか・たかゆき
国際政治記者。大学時代にボスニア内戦を現地で研究。新聞記者として政治部、経済部、国際部、モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、世界40カ国以上で政治経済から文化に至るまで取材した。大のネコ好きで、コロナ禍の最中に生まれた長女との公園通いが日課。40代で泳げるようになった。
文・岡島 梓 撮影・田中秀典
※この記事は2022年12月に掲載されたものを転載しています
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